2011年6月3日金曜日

美しすぎる大義

国会の動きを観ていて思うのは、
誰もが反論できない大義を振りかざして、
正当性を訴えるのが安易になっていること。

宮城・福島・茨城などで
家族や家や仕事を失い
避難している方々は呆れているであろう。

東日本大震災を体験し、
親戚を失っている身としても
同様の気持ちである。

まさに仏教に数々の宗派が生まれた
キッカケ、時代背景、大衆欲求と重なる。

有事の際は社会的な地位、
社会の常識、
過去の実績だけでは
人は引きつけられない。

平穏時は具体的な言葉でなく、
曖昧な言葉でもいいが、
今こそ一人一人にしっかり伝わるように、
僅かな未来への光を具体的に
伝え見せてくれることを渇望しているのだ。

言葉は…、

文化
生活
営み

の切れ端や一部であり、
その言葉を使う人たちにとって
誰でも共通認識できる
美しい存在である。

しかし、美しすぎる言葉は
すでに

『存在』=『言葉』

できない、現実離れしている
存在のように思えるのだ。


【二人ゴト】
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