国会の動きを観ていて思うのは、
誰もが反論できない大義を振りかざして、
正当性を訴えるのが安易になっていること。
宮城・福島・茨城などで
家族や家や仕事を失い
避難している方々は呆れているであろう。
東日本大震災を体験し、
親戚を失っている身としても
同様の気持ちである。
まさに仏教に数々の宗派が生まれた
キッカケ、時代背景、大衆欲求と重なる。
有事の際は社会的な地位、
社会の常識、
過去の実績だけでは
人は引きつけられない。
平穏時は具体的な言葉でなく、
曖昧な言葉でもいいが、
今こそ一人一人にしっかり伝わるように、
僅かな未来への光を具体的に
伝え見せてくれることを渇望しているのだ。
言葉は…、
文化
生活
営み
の切れ端や一部であり、
その言葉を使う人たちにとって
誰でも共通認識できる
美しい存在である。
しかし、美しすぎる言葉は
すでに
『存在』=『言葉』
できない、現実離れしている
存在のように思えるのだ。
【二人ゴト】
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